皆さん、こんにちは。アトラシアンの朝岡です。
本日5月5日(火)から7日(木)まで、米国カリフォルニア州アナハイムにて、アトラシアン最大のグローバルカンファレンス Team ’26 が開催されています。今年は過去最高のカスタマー登録数を記録し、会場は初日から大きな熱気に包まれています。オンライン参加の方も世界中から多数つないでくださっており、まさにグローバルなイベントだと実感しています。
Team のイベントでは毎年、初日の夜にゲストスピーカーを招いた Opening Keynote が行われます。その時々の潮流を反映したテーマが取り上げられるのですが、今年のテーマはずばり 「From AI Novice to AI Native(AIの初心者からAIネイティブへ)」。アトラシアンCEO兼共同創業者のマイク・キャノンブルックスが「私たちは今、生涯でもっとも大きな『働き方の再定義』の入り口に立っている。ビルダーの時代だ」と宣言して幕を開けました。
先ほどセッションが終わったばかりですが、さっそくレポートをお届けしたいと思います。
3人の豪華ゲストによるパネルディスカッション
マイクの開会挨拶に続いて、3名のゲストスピーカーが登壇し、AI時代の働き方について約45分間の濃密なパネルディスカッションが行われました。
- イーサン・モリック(Ethan Mollick)氏 ── ペンシルバニア大学ウォートン・スクール教授。生成AIがまだ「ペトリ皿の中」にあった頃から研究を続けており、AIが実際の仕事にどう影響するかについて、世界で最も知見のある研究者のひとりです。
- マグナス・エストバーグ(Magnus Östberg)氏 ── メルセデス・ベンツのチーフ・ソフトウェア・オフィサー(CSO)。140年の歴史を持つ自動車メーカーで、ソフトウェア主導の変革をリードしています。メルセデス・ベンツはアトラシアンの大切なお客様でもあります。
- エミリー・チェン(Emily Chang)氏 ── 受賞歴を持つジャーナリスト。AI時代のリーダーたちへの鋭いインタビューで知られ、今回は組織変革と仕事の未来をテーマにディスカッションのモデレーターを務めました。
ここからは、ディスカッションの中で特に印象的だったテーマを取り上げていきます。
「AIネイティブ」は本当に意味があるのか?
最初の話題で、いきなり意表を突かれました。モリック教授は開口一番、「AI ネイティブという概念はあまり意味がない、というのが私の物議を醸す意見です」と切り出したのです。マイクが掲げた「AIネイティブへ」というテーマに対して、早くも一石を投じた形です。
教授の研究チームがコンサルタントを対象にAI活用の実験を行ったところ、意外な結果が出たそうです。ジュニア(若手)人材は一見すると素晴らしいアウトプットを出すのですが、実はChatGPTやClaudeの回答をそのまま受け渡しているだけ ── 内容を自分で評価するだけの経験が足りないのです。むしろ、経験豊富なシニア人材のほうがAIの使い方がうまいことが多い、とのこと。
つまり、「AIネイティブ」とはラベルではなく、実験と実践の積み重ねであるということ。そして教授はこう付け加えました。
「まず知っておいてほしいのは、誰も答えを持っていないということです。ラボの責任者やCEOたちと日々話していますが、答えを持っている人はいません。OpenAIもAnthropicも、あなたが持っていない秘密の説明書を持っているわけではないのです。インポスター・シンドローム(自分が場違いだと感じること)があるなら、あなたはまさに正しい場所にいます」
この言葉は、会場にいた多くの参加者の肩の力を抜いてくれたように感じました。AIの活用に正解はなく、まずは実際に手を動かして10時間ほど使ってみることが大事だ、というのがモリック教授のアドバイスでした。
AIの「ギザギザの最前線」── ジャグド・フロンティア
モリック教授が提唱する 「ジャグド・フロンティア(Jagged Frontier)」 という概念も、非常に示唆に富んでいました。
こういうイメージです。人間の仕事を同心円の的のように考えてください。中心は人間にとって簡単なタスク、外側に向かうほど難しくなります。もしAIの能力がこの円にきれいに重なるなら話は簡単ですが、実際のAIの能力はギザギザの形 ── ある分野では超人的に外に突き出し、別の分野では内側に大きくへこんでいるのです。
たとえば数学。数年前まで「AIは計算が苦手、strawberryのRの数も数えられない」と言われていましたが、今や最新の推論モデルは数学オリンピックで優勝するレベルに到達しています。コーディング能力も着実に向上し、一部の領域ではすでに人間を超えています。一方で、長編フィクションの執筆はまだまだ。「毎回同じような展開になり、空虚なメタファーを繰り返す。読んでいてイライラするレベル」(教授談)だそうです。
そして重要なのは、このギザギザは個人レベルでも存在するということ。皆さんの専門分野において、AIがどこで使えてどこで使えないかは、まだ誰にも発見されていないかもしれない ── だからこそ、一人ひとりが実験する価値がある、という力強いメッセージでした。
メルセデス・ベンツの現場から ── 老舗が挑むAI統合
エストバーグ氏の話は、AIの「理論」を「現実のプロダクト」に落とし込むとどうなるか、という視点で非常に興味深いものでした。
メルセデス・ベンツがまずAIを活用したのは音声インタラクションの分野。スウェーデン出身のエストバーグ氏自身、英語もドイツ語も「まあまあ」(ご本人談)で、車のシステムに何度も「理解できません」と言われていたそうです。この言語の壁の問題は、AIによって解決されました。
一方、自動運転の領域では極めて慎重なアプローチを取っています。エストバーグ氏はこれを 「大人の監督が必要なティーンエイジャーのドライバー」 と表現しました。AIは特定の都市の「ネイティブドライバー」のように振る舞うのは得意 ── ニューヨーク流の運転も上海流の運転も模倣できます。しかし、ブレーキシステムなど安全に直結する領域の最高水準の安全基準(ASIL)を、エンドツーエンドのAIモデルが満たせると証明した例はまだないのです。
エストバーグ氏の飛行機のアナロジーも印象的でした。「コックピットのパイロットに実験させたくはない。そこは堅牢で安全であるべきです。でも客室で乗客が映画を見たり楽しんだりする部分では、大いに実験できます」── この考え方は、自動車業界に限らず、あらゆる組織が「どこまで実験してよいか」を考える際のヒントになるのではないでしょうか。
興味深いエピソードもありました。2023年に初めてChatGPTの初期バージョンを車内に搭載し、ベータプログラムで顧客に開放したところ、エンジニアとしては「A、B、C、Dの機能が使えなければ意味がない」と考えていたそうです。ところが実際には、多くの人が求めていたのはただ話し相手になってくれること。安全で快適な空間の中で、ありとあらゆる話題について会話したい ── これは開発チームにとって大きな学びだったそうです。
「コンテキスト」が次の勝負所
今回の Team ’26 全体を通じて繰り返し登場するキーワードが 「コンテキスト(文脈)」 です。Opening Keynote でもこの話題に多くの時間が割かれました。
モリック教授によれば、かつて注目されたプロンプトエンジニアリングのテクニック ── 「あなたは物理学者です」と役割を与える、脅す、報酬を約束する ── は、最新のモデルではほとんど効果がなくなっているそうです。今重要なのは、プロジェクトの歴史、チームメンバーの強みと弱み、組織として何が実行できて何ができないか、といった組織の文脈をいかにAIに伝えるか。これは、単にドキュメントを貼り付けるという話ではなく、もっと深い「人間的なコンテキスト」をどう渡すかという課題です。
エストバーグ氏はこれを車内体験に重ね合わせて説明しました。ドライバーがストレスを感じているのか、カラオケパーティーの真っ最中なのか、集中して仕事を片付けたいのか ── そのコンテキストによってAIの応答はまったく変わるべきです。そしてそれはブランドのコンテキストとも調和しなければならない。メルセデスを選ぶ理由 ── 革の香り、ドアを閉めたときの重厚な音 ── デジタル体験もその世界観と一体でなければ「取って付けた感」が出てしまう。「それはコンテキストです。コンテキストをプロンプティングに、AIの活用に組み込まなければならないのです」というエストバーグ氏の言葉が印象に残りました。
エージェントの時代 ── 人間にとって「面白い判断」を
AIエージェントについても活発な議論が行われました。
モリック教授は、以前ChatGPTに「2030年の仕事はどうなるか」とシナリオを描かせた面白いエピソードを紹介しました。AIの最初の回答は「サラがオフィスに行って、エージェントの仕事ぶりを確認する」。「なぜオフィスに行くの?」と突っ込むと「サラはビーチに行ってエージェントを確認する」。さらに「なぜ確認するの?」と聞くと「サラはビーチに行く」── 「それも満足じゃない!」と教授(会場爆笑)。
教授が描く理想のモデルは、エージェントにタスクを丸投げすることでもなく、人間のように細かく指示することでもありません。「この判断はあなたがすべきです」という意味のある選択を、適切なタイミングで人間に持ってきてくれる ── そんな協働のかたちです。まだ実験段階ではありますが、「人間にとって面白い判断をいかに見極めるか」が、エージェント時代の設計思想の核になるのではないかと感じました。
組織の再設計 ── 「実験しなければ、AIはただの仕事増やしマシンになる」
モリック教授は、組織の変革についても踏み込んだ発言をしました。
「最初の組織図は1855年、ニューヨーク・ニューヘイブン鉄道で生まれました。アジャイル宣言は2002年。それ以来、私たちは組織のかたちをほとんど変えてきませんでした。なぜなら、知性は常に『人間』というひとつの形でしか存在しなかったからです。人間のコントロールの範囲、限界、マネジメントの方法 ── 私たちはそれを熟知しています。でもAIについては、そのどれもわかっていない」
コーダーの生産性が100倍になったとき、アジャイルのプロセスやマネジメントが何も変わらなければ、AIはただ組織のある部分に仕事を溢れさせ、別の部分を手持ち無沙汰にするだけ。「実験しなければ、これらのツールはただの仕事増やしマシンになってしまう」 と教授は警告しました。
具体的な提案として、教授は「3人のポッド」実験を挙げました。サブジェクト・マター・エキスパート、シニアエンジニア、マーケターの3人チームを組み、2週間で「不可能なプロジェクト」に挑戦させてみる。失敗すれば有益な情報が得られ、成功すればなおさら有益。企業はR&D予算でプロダクトの改良には投資するが、組織の形そのものを実験するR&D予算を持っていない ── これは鋭い指摘だと感じました。
仕事の未来 ── 楽観と現実主義のあいだで
「AIで仕事はなくなるのか?」という問いに対して、モリック教授は率直でした。
「正直なところ、長期的にはわかりません。経済学者たちは必死にデータを追いかけていますが、まだ早すぎて結論は出ていません。2025年時点で生成AIのおかげで会社が大きく変わったと言っている人がいたら、おそらく嘘でしょう」
ただ、すでに変化は始まっています。世界トップクラスのコーダーの中に、もうコードに触れていない人が何人もいるそうです。スキルを別の形で活用している ── それ自体が大きな変革です。
教授は、企業のリーダーたちに対してこう述べました。「産業革命は最終的にはより多くの雇用を生み出してきました。でもディケンズを読んだことがある方ならわかるように、産業革命の真っ只中を生きるのは大変なことでもあります。この先しばらくは、混乱の時期を覚悟すべきでしょう」
そして最も重要な点として、過去20年間、生産性向上の果実は「人員削減」に使われてきたというパターンに警鐘を鳴らしました。AIで人を減らし、全社をClaudeで回す ── それでは自社のClaudeと競合のClaudeが同じ結論に達するだけで、何の競争優位にもなりません。AIによる生産性向上を「できることの拡大」に使うのか、「人の削減」に使うのか ── その選択は、リーダー自身が下さなければならない。短期的にはコスト削減のほうが見栄えが良くても、2年後には逆転する可能性がある、と。
「不可能なもの」を作れ ── 最後のメッセージ
セッションの締めくくりで、モリック教授は参加者に力強いメッセージを送りました。
個人へ:合法的・倫理的に許される範囲で、あらゆる仕事にAIを使ってみてほしい。ずっと作りたかったものを作ってみてほしい。「一時的なAI精神病(AI psychosis)」に入って、その向こう側に出てきてほしい。
組織へ:2つのことを同時にやるべきだ。
- かつては価値があったが、今やAIが誰でもできるようにしてしまったことをやめる
- 「不可能なもの」を作る ── 今は失敗するかもしれないが、モデルが進化すれば実現する可能性があるチャレンジに挑む
そして最後の一言。
「今日あなたが使っているモデルは、あなたがこれから使うモデルの中で、最も性能が低いものです」
これは、希望を込めたメッセージです。今できないことも、明日にはできるようになるかもしれない。だからこそ、変化に対応する余力を持ち、今この瞬間から実験を始める意味がある、というわけです。
おわりに
今年の Opening Keynote は、ウォートンの研究者と140年の歴史を持つ製造業の現場リーダーという異なる視点からの対話で、理論と実践のバランスが絶妙な、多くの気づきを与えてくれるセッションでした。
個人的に最も心に残ったのは、「AIネイティブとはラベルではない。実験と実践の積み重ねだ」というメッセージです。完璧な戦略を描いてから動くのではなく、手を動かしながら学んでいく ── これは、日本の企業にとっても非常に重要な姿勢ではないかと感じています。
明日(5月6日)は Founder Keynote が予定されています。アトラシアンが具体的にどのような未来のチームワークを描いているのか、こちらも楽しみです。またレポートしますので、どうぞお楽しみに!



